健やかな成長を願う五月人形

五月人形の由来

五月人形五月人形(ごがつにんぎょう)には、健やかな成長を願う愛情が込められています。そんな五月人形の由来について、お話したいと思います。
5月5日の「こどもの日」には、五月人形が飾られます。一般的には、鎧兜を飾ります。
端午の節句に鎧兜を飾る習慣は、鎌倉時代から始まりました。そして江戸時代には、源義経や弁慶などの勇ましい武者人形や、神武天皇が飾られました。

戦後には、鍾馗(しょうき)と神武天皇を飾るようになりました。
神武天皇は、文武両道の象徴として崇められています。
鍾馗は、災害や病気に対する守護神とされてきました。鍾馗は恐ろしい顔をしていますが、邪鬼を追い払う神様です。

鍾馗の歴史

鍾馗(しょうき)の歴史は、中国・唐、玄宗皇帝の時代にまでさかのぼります。
鍾馗は、高級官僚に合格しました。しかし玄宗皇帝は、その人相を気に入らないということでした。そのため官僚の地位を下ろされてしまい、自害することになってしまいました。

その後、玄宗皇帝はマラリアにかかって、高熱で寝込んでしまいました。その時、宝物を盗もうとする邪鬼が夢の中に現れました。皇帝が大声を出して人を呼ぼうとすると、巨大な鬼が、その邪鬼を退治しました。皇帝を助けた巨大な鬼こそが、鍾馗でした。
皇帝が何者であるか問うと、その鬼は「自害したが、手厚く帝に葬られたため、恩返しのために参った」と言いました。

翌朝、皇帝が起きると、病気はすっかり治っていました。皇帝は画家を呼んで、鍾馗の絵を描かせて、「厄除け」の神として崇めることにしました。
なお現在では、凛々しくて可愛らしい童人形のような鍾馗が好まれているそうです。

甲冑を参考にした鎧や兜

現在でも、全国各地の神社や仏閣には、昔の武将が奉納した甲冑(かっちゅう)がたくさん残っています。現代の鎧や兜は、それら残されている甲冑を参考にして制作されています。
鎧や兜は、子どもさんを守る「お守り」として飾られることがあります。例えば5月5日の端午の節句に、子どもさんを守る「お守り」として鎧や兜を飾ります。

ちなみに「童人形」とは、兜や鎧と一緒に並べて飾る「お人形」のことです。おひな様と一緒に飾る「市松人形」と同じような人形です。災厄から、子どもさんを守ってくれる「お守り」と言えます。
あと、「武者人形(五月人形のこと)」も「お守り」と言えます。「武者人形」は、子どもの身代わりとなって、厄を背負うものです。
多くの「武者人形」は、「歴史上の人物」や「おとぎ話の登場人物」をテーマにして作られています。お祝いとして、親しい人から贈られることが多いようです。

その赤ちゃん専用の五月人形

ところで赤ちゃんの初節句に、昔から家にあった古い鎧兜や五月人形を飾ってお祝いしても良いでしょうか?
それは良くないと言えるでしょう。古くから「その家にある鎧兜」は、その家を守る「お守り」です。なので、赤ちゃんを守るための物ではありません。赤ちゃんを守ってくれる物は、その赤ちゃんだけの鎧兜や五月人形です。

端午の節句の鎧兜や五月人形は、基本的には、お祝いされる男の子を守る物です。なので、他の人のために用意した鎧兜や五月人形を代用して飾ることは、本来の初節句の理に反しています。その赤ちゃん専用の鎧兜や五月人形を、ぜひ用意してください。