銀製品の歴史あるブランド・ティファニー
ティファニーとは
ティファニーとは、宝飾品や銀製品の歴史あるブランドです。
ティファニーは銀製品を始め、水色の化粧箱やアクセサリーポーチでも有名です。例えば、その特徴的な水色はティファニー・ブルーとも言われており、商標登録されています。
そして、赤ちゃんから少女向けの商品もラインナップされています。
ティファニーには歴史があり、多くのコレクションが多数揃っているブランドです。そのティファニーのコレクションは、一度使うと、ますますファンになってしまうほど、素敵なコレクションです。
現在では、ティファニーはラテンアメリカやヨーロッパ、アジアなどで有名です。世界中の女性に愛されているブティックと言えます。
ティファニーの歴史
1837年9月18日にアメリカで創業されてから、世界の約20カ国にブランドショップを持っています(2007年当時)。
チャールズ・ルイス・ティファニー氏とジョン・B・ヤング氏の二人が、ティファニーを設立しました。
その前身は、ティファニー・アンド・ヤングです。ブロードウェイに一番初めの店ができました。
この店では、高級な家事用品などを扱っていました。
本社の所在地は、ニューヨークになります。
ティファニーの母店は、ニューヨークの五番街にあります。
オードリー・ヘップバーン氏が主演した映画「ティファニーで朝食を」の影響によって、観光名所にもなっています。
以下にティファニーの歴史を、一部ご紹介したいと思います(2007年当時の内容になります)。
1800年代
1812年
ティファニーの創業者チャールズ・ルイス・ティファニー氏が、誕生しました。
1837年
チャールズ・ルイス・ティファニー氏が、友人であるジョン・B・ヤング氏と共同で、Tiffany&Youngを創設しました。
資本金は、チャールズ氏が父親から借りた1000ドルでした。
当初、装飾品と文房具の店でした。輸入骨董品やファンシーグッズを取り扱う小さな「お店」だったそうです。
その場所は、ニューヨークのブロードウェイ259番地でした。
1840年
世界で初めてとなる定価制度を導入しました。
1844年
標準純銀法を制定しました。この法は、銀の純度を92.5%に定めることを言います。これは連邦法として、現在も使用されています。
1845年
Tiffany,Young&Ellis社として、世界初のメールオーダーカタログを、この年に発行しました。
ブルー・ブックとして、現在も継承されている物です。
ちなみにティファニー・ブルーは、ここから生まれました。この頃から、水色のパッケージがケースなどにも使われるようになりました。
1848年
ヨーロッパの市民革命から逃れたフランスの貴族から、宝石を格安で手に入れました。
この宝石は、アメリカに渡った重要な最初の宝石として記録されています。
これによりティファニーは、宝石商としてアメリカを代表する地位を確立することになりました。
チャールズ・ルイス・ティファニー氏は、キング・オブ・ダイヤモンドとして有名になりました。
1850年
Tiffany,Reed & Co.社を、パリに出店しました。
1851年
この年から、銀製品の製造を開始しました。
1853年
チャールズ・ルイス・ティファニー氏は、共同経営者達から経営権を買い取りました。
社名をTiffany & Co.と改称して、ブロードウェイ550番地に移転しました。
1867年
ティファニー社はパリ万国博覧会にて、アメリカ出品作として初の銀器部門で、優秀賞を獲得しました。
そして1871年には、オーデュボンを発表しました。
1873年
「ティファニー製の水差し」が、ボストン美術館に所蔵されました。
これはアメリカ製銀製品としては、初めての出来事でした。
1878年
287.42カラットのイエロー・ダイヤモンドの原石を、1万8千ドルで購入しました。これは、南アフリカのキンバリーで発見された原石です。
Dr.ジョージ・フレデリック・クンツ氏が、ダイヤモンドのカットをしました。
現在このダイヤは、5番街本店の入り口にティファニー・ダイヤモンドとして展示されています。
1885年
アメリカ合衆国の新しい印章デザインを、製作しました。
このデザインは、現在もアメリカの1ドル紙幣に使用されています。
1886年
6本の爪でダイヤモンドを支えるティファニー・セッティングを、発表しました。
現在では「あたりまえの方式」ですが、このデザインは、ティファニー社が考案したものになります。
ダイヤモンドなどの石が爪で隠れる部分を最小限にしたことで、カット技術が引き出した「輝き」が増えました。そして、横からも光を取り入れることができて、石を美しく見せるのに成功しました。
1889年
この年のパリ万博では、チーフデザイナーであるポールディング・ファーンハム氏が、ジュエリー部門のゴールド・メダルを受賞しました。
ヨーロッパに対して、アメリカの宝石商の実力を印象づけました。
その後、イギリス・ヴィクトリア女王の御用達店に、アメリカの宝石商として初めて任命されました。
続いてイタリア・オーストリア・スペイン・ロシアなど、ヨーロッパ各国の王室御用達に任命されました。
1900年代
1902年
創設者であるチャールズ氏の息子、ルイス・ティファニー氏が、ティファニー・アート・ジュエリーを設立しました。
同年、チャールズ氏は副社長のC・T・クック氏に今後を託して他界しました。そして副社長のC・T・クック氏が、社長に就任しました。
1940年
現在のニューヨーク五番街に店舗を、移転しました。
1950年
「ティファニーで朝食を」(トルーマン・カポーティ著)が出版されました。
1961年に、この映画が公開されました。
1952年
パリ店を閉店しました。
1955年
ウォルター・ホービング氏が、3代目の経営者になりました。
1963年
サンフランシスコ店が、オープンしました。
1967年
ナショナルフットボールリーグが、ティファニーが製作したスーパーボールトロフィーを、初めて採用しました。
1972年
ティファニー社が、日本に進出しました。東京の三越日本橋本店に、ティファニーサロンがオープンしました。
1986年
第2次世界大戦後、閉店のままだったロンドン店をオープンさせました。
1987年
ニューヨーク証券取引所に上場しました。同年に、香水TIFFANYを発表しました。
1996年
マイケル・J・コワルスキー氏が、社長に選出されました。
1997年
カスタマーサービスセンターが、ニュージャージー州にオープンしました。
ティファニーのデザイナー
ここではティファニーのデザイナーについて、ある二人をご紹介したいと思います。
パロマ・ピカソ
パロマ・ピカソ氏は、天才芸術家パブロ・ピカソ氏の愛娘です。そのパロマ・ピカソ氏は、アバンギャルドな演劇の世界で舞台衣装を手がけていました。そしてジュエリーデザインの才能を、開花させました。
1980年にティファニーは、パロマ・ピカソ氏のジュエリーコレクションを世に送り出しました。パロマ・ピカソ氏の初めての作品になります。
それは発表と同時に、大きな話題を集めました。大胆なスケール、斬新なグラフィティのモチーフ、そして鮮やかなカラーコントラストはとても美しいものでした。エキゾチックな宝石を使った輝かしいコレクションとなりました。
ジーン・シュランバーゼー
ジーン・シュランバーゼー氏は、ジュエリー・デザイナーとしてはカリスマ的存在です。
数々の受賞作を生み出して、ジュエリー界に大きな影響を与えました。
ティファニー社の専属デザイナーとして、1987年、80歳で亡くなるまで活躍しました。
その作品では、海の生物、鳥や花などをモチーフとしたデザインを多く生み出しました。
サファイアやエメラルドなどの色石と、ゴールドやプラチナ、エナメルを組み合わせた「独特の色使い」が特徴になっています。
なお1956年、ジーン・シュランバーゼー氏は、ニューヨークのティファニー本店にサロンをオープンしました。