選択肢になる知識や教養

仕事でも求められる「学校で学んだ事」

「学校で学ぶ事って、将来何に役立つの?」
学生時代の私は、度々そう思っていました。

ですが社会人となり日々の生活を送るようになって、
「学校で学んだ事を活用できるのは当たり前であり、社会人になったら、新たな課題を次々と解決してゆく能力が求められる」。
そう強く実感しました。

学校で普通に「やってきた事」で、仕事でも求められる事があります。例えば、文書をスムーズに読み上げる事です。
仕事での体験談となりますが、ある会議中の出来事で、会議資料を流暢に音読できない人がいました。彼は日本語の一文を、続けて読み上げることができませんでした。「えー、あのー」と無駄な一言を言いながら、つっかえるように読み上げていました。
会議の出席者たちは、彼の言っている事をスムーズに聞き取れず、ちょっと困惑していました。

誤解を恐れず言うと、彼は学生時代、国語の音読の練習が不足していたと言えます。学生の時は、「文章の読み上げ」が苦手な子で通用しました。しかしビジネスの現場では、流暢に音読できる事が当たり前となっています。

国語の先生の思い出

先程の読み上げできない人は、もしかしたら国語の先生との相性が悪かったのかもしれません。私の体験談になりますが、国語に対する苦手意識を取り払ってくれた先生がいました。

もう30年以上も昔のことになります。私が中学生だった当時のことです。その当時、国語という科目に苦手意識を持っていました。感想文などの作文は嫌でした。テストに出題されていた文章読解の問題も、よく間違えていました。

そんな時、私の国語に対する苦手意識を取り払ってくれた先生がいました。その先生は国語の授業の時、文学作品の文章を音読する際に、まるでミュージカルみたいに歌うように音読していました。
音読している内容は、堅苦しい昔の文学作品でした。だけどリズム感あふれる音読は、歌を聞いているみたいでした。不思議と、その作品の物語の情景が頭の中に自然と浮かんできました。
その時「文章の内容は、頭の中でイメージ化できる」、子供ながらにそう気づいたのでした。

その先生の国語の授業を受けた以降、以前と比べて私の国語に対する苦手意識は軽くなりました。今振り返ってみると、とても良い先生だったと思います。
先生の教え方一つで、勉強は楽しくなります。先生という仕事は難しい仕事ですが、子供の未来に良い影響を与える仕事です。なので、とても「やりがいのある仕事」だと思いました。

選択肢になる知識や教養

勉強知識や教養は、絵の具に例えることができると思います。もしも色彩豊かな絵を描きたいなら、絵の具の色はたくさんあるほうが良いです。
同じように、もしも人間性が豊かな人になりたいなら、知識や教養はたくさんあるほうが良いでしょう。たくさんあるほうが、なりたい自分になるための選択肢(可能性)があるからです。
何か「やりたい事」があるなら、それを実現して楽しい人生を送りましょう。そのために、毎日の勉強に頑張りましょう。

頑張りましょうと言いましたが、私が学生だった頃、「夏休み」の宿題を終わらせるのに苦労したことを覚えています。特に自由研究と読書感想文は、苦手でした。
しかし大人になった今、ブログ上に「このような文章」を書いています。読書感想文を通して作文の練習をした事は、大人になった今になって役立っている気がしています。