ピアノの歴史

ピアノより前の楽器

チェンバロ

チェンバロ

ピアノという楽器が誕生する前には、どんな楽器があったでしょうか。クラヴィコードチェンバロという楽器があった、と言われています。

クラヴィコードは、ルネッサンス期に主に使われていたそうです。その音域は、4オクターブ程度ほどだったそうです。なお、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ氏が愛用していたクラヴィコードは、5オクターブあったとされています。
クラヴィコードの音量はとても小さくて、演奏会や合奏には不向きでした。現在のピアノで例えて言うと、ピアニッシモからメゾ・ピアノくらいの音量しか出ませんでした。そのためバロック期になると、チェンバロが主に使われるようになりました。

新しい楽器・ピアノ

ピアノ1709年、楽器製作者のバルトメオ・クリストフォリ氏がいました(イタリア人)。彼は、新しい楽器を発明しました。それは打弦機構を持っている楽器で、クラヴィコードとチェンバロの二つの長所を併せ持っていました。その二つの長所とは、クラヴィコードの音の強弱が出せる点と、チェンバロの音量がある点です。
強弱を出せるクラヴィ・チェンバロということで、「ピアノ・エ・フォルテ・クラヴィ・チェンバロ」と呼ばれました。その言い方が略されて、ピアノという呼び方が生まれたそうです。

ただし当時のピアノは、作曲家の要求に応えることができなかったようです。応えるほどの演奏レベルを持っている楽器とは、言えなかったようです。
ピアノは画期的な発明でした。しかし当時は、チェンバロの全盛期でした。そういう事より、ピアノを使った作曲家が登場するのは、まだまだ先の事でした。

モーツァルトが愛用したピアノ

1777年に、モーツァルト氏がスタインのピアノを弾く機会がありました。その時とても感激した、と言われています。その後モーツァルト氏は、晩年までスタインのピアノを愛用したそうです。

当時のピアノには、ダンパーペダルがありませんでした。その当時のダンパーは、膝を使って、棚板の下にあるレバーを操作するタイプの物でした。しかし、あまり音量が大きくなかったので、そのような止音の良くないダンパーでも、演奏するのにそれほど問題とならなかったようです。
ちなみに、その当時音量がそれほど大きくない理由は、現在のピアノのように鉄骨フレームや鋼鉄弦が使われていなかったから、ということです。

ところで、ペダルが発明されたのは1783年頃だそうです。イギリスの楽器製作者ジョン・ブロードウッド氏が発明したそうです。
なお、現在のピアノには欠かせないペダルについては、当時利用されないこともあったそうです。例えばモーツアルト氏は、ペダルの付いたピアノでは作曲をしなかった、と言われています。モーツアルト氏は、ペダルが発明された事を知っていました。ですが、利用しなかったそうです。つまり当時のモーツアルト氏の曲には、ペダル記号は存在しなかったことになります。

改善されていったピアノ

1800年代頃の話になりますが、ピアノの音域は、その時代の演奏者たちの要求によって4オクターブから6オクターブへと増えていきました。
その際、ピアノは木製の支柱のみでは、ピアノ弦の張力に耐えられなくなってきました。よってその対策として、鋳鉄製のフレームが登場しました。鋳鉄製フレームを考案したのは、アメリカでボイラー工場を経営していたアルフェーズ・バブコック氏でした。

フレームだけではなくて、ピアノ弦も改善されていきました。例えば1935年に、鋼鉄線が発明されました。その鋼鉄線をピアノ弦に用いることで張力が大きくなり、ピアノの音量が大きくなりました。

ピアノにおける改善は弦だけではありません。連続打鍵を可能にしたレペティションレバーの発明もありました。ピエール・エラール氏による発明です。数ある彼の発明の中でも、最高の発明と言われています。

また1811年には、アップライトピアノの演奏力を飛躍的に向上させるブライドルテープが発明されました。発明したのはロバート・ワーナム氏でした。

昔の偉人たちがピアノに対して数々の改善を生み出した「おかげ」で、現在のピアノの演奏力(豊かな表現力)がある、と言えます。

ピアノに影響を与えたフランス革命

フランス革命(1789年)は、ピアノ本体や音楽家達に大きな影響を与えました。
フランス革命によって、貴族社会が崩壊しました。当時貴族は、音楽家達の庇護者でした。貴族たちが社会的地位を失う事は、音楽家達も職場を失うことになりました。よってフランス革命以降、音楽家達は生き抜くために、一般大衆たちを相手に音楽活動することになりました。

大衆たちに対して音楽演奏をする場合、以前みたいな小さなサロンではダメでした。大人数が入る大きなホールで、ピアノを演奏することになります。そんな演奏形式に対応するため、ピアノは音量を大きくする必要に迫られました。音域についても拡張する必要に迫られました。

以上のように革命によって社会状況が変わったため、ピアノに求められる機能も変わりました。そんな昔から現代にかけて、ピアノは工業技術を駆使して多数の改善改良が実施されてゆきました。

日本のピアノメーカーの歴史

ヤマハ

楽器メーカーとして有名なメーカーの一つに、ヤマハがあります。楽器の製造だけでなくて、ヤマハ音楽教室もよく見かけます。子供の頃に通っていたという方もいる、と思います。
ピアノメーカーのヤマハは、ピアノを学んでいる人のほとんどがその名を知っている、と言えます。そのヤマハの歴史について、簡単にご紹介したいと思います。

1887年、山葉寅楠(やまはとらくす)氏が静岡県の浜松市で暮らしていました。
彼はある時、足踏みオルガンの修理を頼まれました。そして、その足踏みオルガンを見事に修理しました。この事より、「オルガン作り」を開始しました。
その後会社を設立して、ピアノの製造を始めました。そして1900年には、国産のアップライトピアノ「ヤマハカメンモデル」を完成させました。これは、国産アップライトピアノの第一号です。
1902年には、ヤマハ株式会社の前身である日本楽器製造株式会社が、グランドピアノの製作を始める事になります。
当時の日本は、かなり激動な時代だったと言えます。その厳しい時代を生き抜いて、今に至っています。

近年では、電子楽器の製造にも力を入れています。ヤマハは楽器のことを知りつくしたメーカーと言えます。だからこそ、電子楽器も作ることができると言えます。新しい楽器を作るには、それまでの実績や伝統が大事と言えるからです。
これからもヤマハは、多くの良質な楽器を作り続けてゆくでしょう。

カワイ

日本の代表的なピアノメーカーの一つであるカワイ(河合楽器製作所)の歴史を、ご紹介したいと思います。

その始まりは、創業者の河合小市 氏が河合楽器研究所を設立した事が始まり、と言えます。
その後の1929年には、河合楽器研究所を河合楽器製作所と改めました。
1952年には、小市 氏が亡くなります。そして河合滋 氏が、社長に就任します。河合滋 氏は、娘婿でした。
河合滋 氏は、事業の拡大に成功してゆきます。そして1980年には、河合楽器竜洋工場というグランドピアノ専門工場が完成しました。
そしてその翌年の1981年には、カワイフルコンサートグランド「EX」の生産が開始されました。その後、河合楽器製作所は順調に事業を伸ばしていくことになります。

ちなみにカワイの歴史を振り返った際、創業者である河合小市 氏は天才的技術者だった、という意見が多数あります。実際、天才として有名だったそうです。

近年有名な日本の楽器メーカー

近年の日本では、楽器メーカーとして次の3社が有名と言えます。

まずは、カシオです。カシオと聞いたら電卓のイメージがあるかもしれません。ですが電子楽器メーカーとして、世界に知られているメーカーと言えます。特にキーボードが有名と言えるでしょう。

次に、ピアノを中心とした楽器を製作しているメーカーとして、河合楽器があります。本格的なグランドピアノを始め、子供用の小さなピアノ、電子ピアノなど、多数のピアノを製作しているメーカーです。

最後に、日本で一番大きな楽器メーカーと言えるヤマハがあります。制作している楽器は多種にわたります。現代的な電子楽器からアコースティックな楽器まで、何でも揃っていると言えます。

もしもピアノやキーボードなどの楽器を買う際、特定のメーカーを決めていないなら、これら3社の楽器を選んでおけば、まず大丈夫でしょう。



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