かなり古い、四柱推命の歴史

中国における四柱推命の歴史

中国

四柱推命とは、人間の運勢・宿命・性格・未来などを推察して鑑定する「占い」です。古代中国から伝えられている陰陽五行説を基にして、作られているものです。

中国占術は、「木」「火」「土」「金」「水」という五行説を元に考えられています。この五行説を基にしている流派には、「四柱推命」「算命学」「六壬(ろくじん)」「気学」などがある、と言われています。

昔の中国の時代に考えられた四柱推命は、個人の生年月日と生まれた時間を基にして占うことができる、という考えから出来ている「占い」です。

四柱推命では、個人の生年月日と生まれた時間から見た4つの柱・「年柱・月柱・日柱・時柱」と、十干(じっかん)と十二支を組み合わせた「六十干支(ろくじっかんし)」暦を使って、占いをします。

この暦は、紀元前数千年前に使われていたとも言われています。かなり古い時代から使われている考えだと言えます。
このように四柱推命は、物凄く長い歴史を持っている「占い」の技術である、と言えます。

二つの占術

ちなみに、中国には昔から「色々な占い」があると言われています。
「占い」を大きく分類すると、西洋占術と東洋占術に分けることができます。
「中国で発祥した占い」は、東洋占術の多くを占めていると言われています。

なお、日本で言うところの四柱推命は、中国では「子平」「三命」「命学」「命理」「四柱八字」などと、言われているようです。
これは、「星」や「平」を基準にしているからです。中国では、それら二つに占術の方法を分類しているので、そう呼ばれるようになったそうです。

「星」は、西洋系の占術を示しています。「平」は、干支系の占術を示していると言われています。つまり「星」は西洋占星術、「平」は干支と四季の変化・暦から、命運や宿命を鑑定するものというように、考えているのでしょう。

ちなみに中国では、上記の呼び方の他にも、八字(パーツー)や子平(しへい)と呼んでいる人もいるようです。

日本における四柱推命の歴史

「四柱推命という占い」は、中国での歴史はかなり古いと言われています。「的中率が高い占い」とされていて、昔から政治などの大事なポイントにおいて、頼りにされてきたそうです。

そんな四柱推命は、現在の日本でもかなり広まっています。中国から日本に伝播された「占い」と言われています。

日本に入って来た「きっかけ」は、一冊の書物だったようです。それは「淵海子平(えんかいしへい)」という中国の書物です。桜田虎(仙台藩の医者・儒学者)が、この書物を翻訳をしたことが「きっかけ」だったそうです。

この「淵海子平」という書物は、四柱推命を研究していたことを発展させた事柄が、書いてあるような物だったそうです。
この翻訳された本を「きっかけ」にして、日本では多くの学者により、四柱推命の研究が行なわれていったようです。

なお、日本で知られている「四柱推命の流れ」は、阿部泰山という人の考えでまとめられているようです。また、それ以外にも様々な流派が存在しているそうです。

日本独自の呼び方・四柱推命

ところで四柱推命という呼び方について、中国ではこのような呼び方をしていないようです。「子平(しへい)」または「子平八字」「八字(はちじ)」などと、呼んでいるようです。
この呼び方の由来としては、宋代の徐子平の名前から、または四柱推命の元となった書物「淵海子平」の題名から、そう呼ばれるようになったらしいです。

四柱推命という呼び方は、日本独自の呼び方になっています。
ただしこの呼び方は、世界各国では「Four Pillars of Destiny」、または「Four Pillars Astrology」などと呼ばれており、通用しているようです。